1984年に公開されたアニメ映画「風の谷のナウシカ」
公開から長い年月が経った今でも多くの人に愛されている作品ですが、風の谷のナウシカのラストシーンは理解が難しい…どういう意味だったのだろうという感想が目立ちます。
また、原作と映画はところどころ違う部分があるという噂もあるようです!
風の谷のナウシカのラストシーンの意味や原作と映画の違いについてもとても気になりますよね?
そこでこの記事では
風の谷のナウシカのラストシーンの意味は?
風の谷のナウシカのラストシーンについての感想
風の谷のナウシカの原作と映画の違いは?
風の谷のナウシカの見どころは?
について調査していきます。
風の谷のナウシカのラストシーンの意味は?
公式からラストシーンの意味が発表されているわけではないのですが、考察している方も多かったのでいくつか紹介していきますね。
自然や地球について考えられるように視聴者に希望を持たせた
映画を見終わった後も自然について考えられるよう、最後に1つの芽を映し出したのでしょうね。
自然保護を訴え、強く植物が育っていくような希望を持たせた
腐海の底から芽吹いた1つの命が大きくなって、いずれは森となり新たに生命がたくさん生まれるかもしれないという希望を持つようなシーンだと思われます。
マスクの必要のない世界になるようにメッセージが込められている
ガスマスクがついた帽子が置いてあったことからも、世界が澄んだ空気になりマスクの必要のない世界になって欲しいというメッセージも込められているのかもしれません。
風の谷のナウシカのラストシーンについての感想
風の谷のナウシカのラストシーンについてネット上では様々なコメントがありました。
やはり最後のシーンは何度も観返している方が多かったようです。
何度観てもラストシーンでは感動して泣いてしまうという方もいました。
映画館の大きなスクリーンで観るとまた違うのかもしれませんが、家でゆっくり1人で観ても没頭できて良いのかもしれませんね。
風の谷のナウシカの原作と映画の違いは?
風の谷のナウシカは原作と映画で違う点がいくつかあるようなので調査してみました。
腐海ができた理由の違い
映画では腐海は自然にできたものだといわれていましたが、原作では1000年前に大地浄化のため人工的に作ったものだと描かれています。
ラストシーンが違う
映画のラストシーンは、風の谷に再び平和が訪れています。
一方原作では、映画のその後のシーンが描かれておりナウシカ達は汚れた世界でも生きていける人造人間だということが明かされます。
今いる世界が完全に浄化されてしまうと命は尽きてしまう…このことを知ったナウシカは汚れていてもこの世界で生きていくことを決断し強く生きていきます。
登場人物の描写が違う
巨神兵やクシャナなど登場人物の描写が原作では、違うものとなっています。
巨神兵は、映画では卵から孵化してすぐ腐ってしまいますが原作ではナウシカのことをママと慕っているんですね!
原作の巨神兵はナウシカによって「オーマ」と名付けられ、ナウシカと接することで徐々に会話もできるようになるまでに成長しています。
クシャナは、映画内では悪役のイメージですが原作では幼少期の悲しい背景まで描かれています。
原作だとカリスマ性があり判断力に優れているという位置付けのようですね。
風の谷のナウシカの見どころは?
文明が発達した現代社会について考えさせられる内容で、ナウシカの住む荒れに荒れた現代と自然との共存に視点を向けてみると今自分たちが住む世界についても深く考えさせられるストーリーとなっています。
また、ナウシカが小さい飛行機に乗って飛行するシーンがありますが臨場感ある演出となっています。
戦闘シーンなども壮大なスケールで描かれているので、スリル感を味わいたい方は特にグッと引き込まれる内容ですよ!
観終わった後に何か考えさせられる深い映画というのも見どころなのかもしれません。
まとめ
今回は、風の谷のナウシカのラストシーンの意味は?原作と映画の違いについても調査しました。
風の谷のナウシカのラストシーンはいくつか考察がありましたが、自然保護についてやマスクのない世界になるようにといったメッセージが込められているということが分かりましたね。
原作と映画では登場人物やラストシーンも違う描写となっていたので、映画しか観ていない方は原作も読んでみると違った視点で楽しめるかもしれませんよ!
最後までお読みいただきありがとうございました。